カテゴリー: コラム

  • 自分の体質に合う食べ方を、どう考えるか

    自分の体質に合う食べ方を、どう考えるか

    同じ牛乳を飲んで、平気な人とお腹を壊す人がいます。同じ酒を飲んで、顔色ひとつ変わらない人と一杯で赤くなる人がいます。この差の一部は、その人の祖先が何千年何を食べてきたかに由来します。

    では、2000年以上米を食べてきた日本列島の集団は、米に適応したのでしょうか。

    先に答えを書きます。牛乳と酒については、食文化が身体を変えた証拠があります。デンプンについては、2024年にようやく強い証拠が出ました。ただし「日本人は米に適応している」と言い切れるデータは、いまのところありません。

    食べ物に対して、人間の身体は本当に変わるのか

    これを扱う考え方に名前がついています。遺伝子―文化共進化。ある食文化が長く続くことで、その食文化に有利な遺伝的特徴が集団の中で増えていく、という現象です。

    言葉だけなら仮説に聞こえます。ただ、少なくとも1つの食品では、実際に何が起きたかまで分かっています。

    牛乳を飲める身体は、後から生まれた

    ほとんどの哺乳類は、離乳すると乳糖を分解する酵素(ラクターゼ)の働きが落ちます。それが標準の経過です。大人になっても分解できる状態のほうが、後から現れた例外です。

    この形質はラクターゼ持続性と呼ばれます。ヨーロッパ系集団ではLCT遺伝子の上流にある -13910 C/T という1か所の違いが、この形質と強く結びついています1。

    そして、時期が分かっています。この変異は新石器時代初期の中央ヨーロッパでは、非常にまれか存在しませんでした1。つまり、農耕と牧畜が始まったあとに広がったものです。

    論文は、共進化の条件をこう書いています。

    新鮮な乳の供給がなければ、ラクターゼ持続性が選択上の利益をもたらすとは考えにくい。このことから、酪農を行う文化においてのみラクターゼ持続性が有利になり、ラクターゼ持続性の集団においてのみ酪農がより有利になるという、遺伝子―文化共進化のモデルが導かれた1

    文化が先か、身体が先か、ではありません。両方が互いを押し上げました。シミュレーションによる推定では、この共進化はおよそ7,500年前、バルカン半島中部から中央ヨーロッパのあいだで始まったとされています1。

    いま、頻度には大きな地域差があります。ヨーロッパでは -13910*T の対立遺伝子頻度がイタリア・トスカーナの8.9%から英国の72.0%まで幅があり、平均は50.8%。アジアでは10%を超えることがまれです3。

    ここで押さえておきたいのは順序です。牛乳を飲めることが人間の「普通」で、飲めないのが「異常」なのではありません。順番は逆でした。大人になって酵素が減ることのほうが、哺乳類として標準的な経過です。

    同じ酒でも、身体は同じ反応をしない

    アルコールは体内で二段階に分解されます。まずアセトアルデヒドに変わり、次に酢酸に変わる。この2段目を担うのが2型アルデヒド脱水素酵素(ALDH2)です。

    この酵素の働きが弱い型は、東アジアに集中しています。日本人では、両方の遺伝子が弱いホモ欠損型が1割弱、片方が弱いヘテロ欠損型が3割強。合わせて4割強が、生まれつき処理能力の低い側にいます。

    ヨーロッパ系集団では、この型はほとんど見られません。同じ量の酒を飲んでも、体内に残るアセトアルデヒドの量が違います。

    これは「酒に強い・弱い」という性格の話ではなく、酵素活性の差です。飲み慣れても遺伝子型は変わりません。

    小麦を食べる文化と、グルテンへの反応

    セリアック病は、グルテンに対する免疫反応で小腸の粘膜が傷害される疾患です。発症にはHLA-DQ2またはDQ8という特定の型がほぼ必須とされています。

    世界の頻度には差があります。27万人以上を対象にしたメタ解析では、血清検査陽性の世界全体の頻度が1.4%(95%CI 1.1〜1.7%)、生検で確認されたものが0.7%(0.5〜0.9%)でした4。

    生検で確認されたセリアック病の地域別頻度4
    地域 頻度
    ヨーロッパ・オセアニア 0.8%
    アジア 0.6%
    アフリカ・北米 0.5%
    南米 0.4%

    日本では、さらに低い数字が出ています。島根県で2,055人を対象にした血清スクリーニングでは、抗体陽性は0.19%。ただしこの研究では生検もHLA型判定も行われておらず、陽性だった4人に消化器症状はありませんでした5。

    ここは慎重に書く必要があります。頻度の差は、遺伝的背景だけで決まるものではありません。診断率、検査の普及度、小麦の摂取量、環境要因が同時に効きます。同じ論文が、日本の小麦摂取量は中国の半分程度だと記しています5。

    そして重要なのは、これは「日本人に小麦が合わない」という話ではないということです。むしろ逆で、セリアック病の関連型が少ないぶん、この疾患の頻度は低く出ています。

    あわせて覚えておきたいことがあります。自分でグルテン不耐だと考えている人を盲検で調べた試験では、症状が最も強く出たのはグルテンではなくフルクタンでした。「小麦で不調」の中身は、グルテンとは限りません。

    そして、デンプンを食べる身体

    ここが米の話への橋です。

    口に入れた瞬間からデンプンを分解する酵素が、唾液アミラーゼです。これを作るAMY1という遺伝子は、人によってコピー数が違います。

    2007年、Perryらは高デンプン食の集団のほうがAMY1のコピー数が平均して多いと報告しました6。魅力的な話で、広く引用されました。

    ただし、この研究はその後ずっと揺れていました。コピー数の測定に使われたqPCRの精度が十分でないこと、AMY1のコピー数とBMIの関連が再現しなかったこと、そしてコピー数の増加が農耕の開始より前にさかのぼる可能性が指摘されたことです。

    コピー数が唾液アミラーゼの量をどれだけ説明するかを調べた研究では、説明できたのは分散の11.7%(タンパク量)と13.6%(酵素活性)にとどまりました7。残りは別の要因です。

    決着がついたのは2024年でした。

    つまり、いま言えるのはこうです。人類は、長く食べてきたデンプン食に対して、それを分解する側の遺伝子を増やしてきた可能性が高い。ただしそれは「米」に固有の話ではなく、芋でも麦でもトウモロコシでも起きうる、高デンプン食全般への適応です。

    食文化が選択圧になり遺伝的特徴が増え、消化・代謝の違いが生まれる流れを、牛乳・酒・デンプンの3例で並べた図
    同じ構造が、3つの食品で繰り返されています。文化が先にあり、それが有利・不利を作り、集団の中の頻度が動く。牛乳とデンプンは「増える」方向、酒は東アジアで「弱い型が残った」形です。

    では、日本人は「米」に適応しているのか

    ここまでの材料で、言えることと言えないことを分けます。

    米と日本列島の集団について
    内容
    言えること 日本では長期間、米を中心とした食文化が続いてきた
    人類が高デンプン食に適応してきたことを示す研究がある(2024年 Nature)
    食文化によって消化・代謝能力が変わりうることは、牛乳と酒で実証されている
    言えないこと 日本人が欧米人より米からエネルギーを取り出す効率が高い
    日本人にとって米が生理学的に最適な主食である
    日本人は小麦より米を食べるべきである

    下の3つを直接証明した研究は、現時点でありません。ここは誤魔化さないほうがいいところです。

    2024年の研究が示したのは「農耕集団はコピー数が多い」という集団レベルの傾向であって、日本列島の集団を対象に米との関係を調べたものではありません。そして集団の平均は、目の前の一人の話ではありません。

    必要な栄養素は同じでも、取り方は同じとは限らない

    ここで整理が要ります。よくある誤解を先に外します。

    必須栄養素が民族によって違う、ということはありません。必須アミノ酸も必須脂肪酸も、ビタミンもミネラルも、人間に必要な基本は共通です。

    違うのは、そこへ至る経路のほうです。

    共通するものと、差が出るもの
    中身
    共通 必須アミノ酸、必須脂肪酸、ビタミン、ミネラルの必要性そのもの
    差が出る 消化酵素(ラクターゼ、アミラーゼ)
    代謝酵素の遺伝子多型(ALDH2、薬物代謝酵素)
    免疫の反応しやすさ(HLA型)
    腸内細菌の構成

    つまり、こうなります。必要なものは同じでも、どの食品からどう摂るのが身体にとって負担が少ないかは、全員同じとは限りません。

    「健康にいい食事」は、世界共通なのか

    この問いは、実務に直結します。

    栄養学の研究の多くは、欧米の集団で行われています。その結果を日本人にそのまま当てはめてよいのか。逆に、日本食をすべての人に勧めてよいのか。

    これは医学研究を否定する話ではありません。集団差があると分かっているのだから、それを考慮に入れるほうが科学的だ、という話です。この方向は個別化栄養(precision nutrition)と呼ばれています。

    ただし、ここにも限界があります。800人の食後血糖を46,898食分測った研究では、同じ食事への反応が人によって大きく違っていました。集団差より、同じ集団の中の個人差のほうが大きい場面もあります。

    だから、順番はこうなります。集団の傾向を知る。そのうえで、自分がどこにいるかは別に確かめる。検査はそれぞれ違う問いに答えています。

    今日、確かめられること

    この記事で扱った4つのうち、3つは自分で確かめられます。

    デンプンだけは、自分では測れません。唾液アミラーゼの量もAMY1のコピー数も、日常の検査項目にありません。

    食卓の上だけではなく

    私たちは、食べ物を栄養素の集合として見がちです。たんぱく質、脂質、糖質、ビタミン。

    けれど、牛乳を飲んできた歴史も、穀物を育ててきた歴史も、酒を造ってきた歴史も、文化として残っただけではありませんでした。その一部は、酵素の活性として、遺伝子のコピー数として、いまも身体の中にあります。

    日本人の身体が米を食べるようにできていると、いまの科学だけで断言することはできません。けれど、何千年もの食文化と身体が無関係だったと考える理由も、もうありません。

    私たちが何を食べてきたかという歴史は、食卓の上だけではなく、身体の中にも残っています。

    参考文献・参考資料

    1. Itan Y, Powell A, Beaumont MA, Burger J, Thomas MG. The origins of lactase persistence in Europe. PLoS Comput Biol. 2009;5(8):e1000491. PubMed 19714206
    2. Recurrent evolution and selection shape structural diversity at the amylase locus. Nature. 2024. PubMed 39232174
    3. Genetic aspects of lactase deficiency in indigenous populations(ヨーロッパの -13910*T 対立遺伝子頻度、アジアでの頻度に関する記述) PMC11491482
    4. Singh P, Arora A, Strand TA, et al. Global Prevalence of Celiac Disease: Systematic Review and Meta-analysis. Clin Gastroenterol Hepatol. 2018;16(6):823-836.e2. PubMed 29551598
    5. Fukunaga M, Ishimura N, et al. Celiac disease in non-clinical populations of Japan(Shimane CoHRE study). JGH Open. 2020. PMC7411563
    6. Perry GH, Dominy NJ, Claw KG, et al. Diet and the evolution of human amylase gene copy number variation. Nat Genet. 2007;39(10):1256-1260. PubMed 17828263
    7. Copy number variation of human AMY1 is a minor contributor to variation in salivary amylase expression and activity. Hum Genomics. 2018. PubMed 28219410

    本記事は査読済み文献の整理であり、個別の診断・治療に代わるものではありません。記載の頻度や割合は集団の推計であり、特定の個人に当てはまるものではありません。特定の食品の摂取を勧めるものでも、避けるよう勧めるものでもありません。

  • 健康寿命を延ばすために、どこから手をつけるか

    健康寿命を延ばすために、どこから手をつけるか

    平均寿命と健康寿命の差は、男性8.49年、女性11.63年(令和4年)1。日常生活に制限がある期間です。

    この期間を作っているものには、名前と数字がついています。介護が必要になった主な原因は、認知症16.6%、脳血管疾患16.1%、骨折・転倒13.9%(令和4年・総数)2。

    そして軽い段階と重い段階で、原因の顔ぶれが入れ替わります。ここが、手の打ちどころを決める部分です。

    8.49年と11.63年を、何が作っているか

    健康寿命は「日常生活に制限がない期間の平均」です。令和4年の値は男性72.57年、女性75.45年。平均寿命は男性81.05年、女性87.09年でした1。

    差だけを見ると、抽象的な数字に見えます。ただ、この期間に何が起きているかは、別の統計に出ています。

    段階で、原因が入れ替わる

    国民生活基礎調査は、介護が必要になった主な原因を要介護度別に集計しています。上位3位を並べると、こうなります2。

    現在の要介護度別にみた、介護が必要となった主な原因(令和4年・上位3位)2
    段階 1位 2位 3位
    総数 認知症 16.6% 脳血管疾患 16.1% 骨折・転倒 13.9%
    要支援1 高齢による衰弱 19.5% 関節疾患 18.7% 骨折・転倒 12.2%
    要支援2 関節疾患 19.8% 骨折・転倒 19.6% 高齢による衰弱 15.5%
    要介護1 認知症 26.4% 脳血管疾患 14.5% 骨折・転倒 13.1%
    要介護3 認知症 25.3% 脳血管疾患 19.6% 骨折・転倒 12.8%
    要介護4 脳血管疾患 28.0% 骨折・転倒 18.7% 認知症 14.4%
    要介護5 脳血管疾患 26.3% 認知症 23.1% 骨折・転倒 11.3%
    要介護度別の主な原因。要支援では関節疾患・衰弱・骨折、要介護4・5では脳血管疾患が最多になる
    軽い側では運動器と体力、重い側では血管の病気が前に出ます。骨折・転倒はすべての段階の上位3位に入っています2。

    読み取れることが3つあります。

    1. 軽い側の入口は、病気ではない。要支援1・2の上位に並ぶのは、関節疾患・高齢による衰弱・骨折転倒です。認知症も脳卒中も、上位3位に入っていません。動ける範囲が狭くなるところから始まっています。

    2. 重い側は、血管に寄る。要介護4で28.0%、要介護5で26.3%。脳血管疾患が最多になります。ここは「衰え」ではなく、急に起きる出来事です。

    3. 骨折・転倒は、全段階にある。総数で13.9%。要支援2では19.6%まで上がります。軽い側にも重い側にも顔を出す、唯一の項目です。

    3つに分けると、確かめられる数字がある

    「健康寿命を延ばす」は大きすぎて手がつきません。ただ、上の表は3つに分けられます。運動器・血管・骨。どれも、いま数字で確かめられるものがあります。

    3つと、確かめられる数字
    関わる原因 確かめられるもの
    血管 脳血管疾患(要介護4で28.0%) 家庭血圧の基準は135/85。LDLの管理目標値は区分で変わる
    骨 骨折・転倒(全段階の上位3位) 骨密度。カルシウムは推奨量の65%、ビタミンDは目安量の77%
    運動器・体力 関節疾患・高齢による衰弱(要支援の1・2位) たんぱく質は推奨量の120%だが、1.6g/kgで頭打ち

    血管については、線がはっきりしています。家庭で測ったときの基準は135/85で、診察室の140/90より低く設定されています。診察室でしか測っていないと、家で高い人は見つかりません。

    骨については、血液のカルシウム値では足りているか分かりません。下がりそうになると骨から補われて元に戻るためです。骨の状態が気になるなら、見るのは骨密度のほうです。

    認知症について、いま書けること

    総数で1位、要介護1で26.4%。いちばん多い原因です2。

    ただし、ここで確実な予防法を書くことはできません。分かっていることと、分かっていないことを混ぜないためです。

    この統計から言えるのは、脳血管疾患が要介護4・5の最多であり、認知症と並んで上位にいるということだけです。血管に効く数字は、上の表のとおり自分で確かめられます。それ以上のことは、この記事の範囲を超えます。

    今日、位置を1つ確かめる

    8.49年と11.63年は集団の平均です。自分の分は、まだ決まっていません。

    決まっていないものについて、今日できるのは位置を1つ確かめることです。

    3つとも、道具はほとんど要りません。要支援の入口が「病気」ではなく「動ける範囲が狭くなること」だったのは、逆に言えば、病名がつく前から数えられるということです。

    健診が見ている範囲と、その外側についてはこちらに書いています。

    参考文献・参考資料

    1. 厚生労働省健康・生活衛生局健康課「健康寿命の令和4年値について」第4回 健康日本21(第三次)推進専門委員会 資料1-1、令和6年12月24日 https://www.mhlw.go.jp/content/10904750/001363069.pdf
    2. 厚生労働省「2022(令和4)年 国民生活基礎調査の概況」Ⅳ 介護の状況、表17「現在の要介護度別にみた介護が必要となった主な原因(上位3位)」 https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-tyosa/k-tyosa22/dl/05.pdf

    本記事は公的統計の整理であり、個別の診断・治療に代わるものではありません。記載の割合は在宅の要支援・要介護者を対象とした調査の結果で、個人の見通しを示すものではありません。特定の検査・製品の効果を示すものでも、使用を勧めるものでもありません。

  • 予防に手が回らない理由を知って、自分で動く

    予防に手が回らない理由を知って、自分で動く

    日本の国民医療費は48兆915億円(令和5年度)。この統計の定義に、こう書いてあります。「健康の維持・増進を目的とした健康診断、予防接種等に要する費用」は含まない1。

    誰かが隠しているのではありません。国民医療費は「傷病の治療に要した費用」を推計する統計だからです1。定義として正しい。

    ただ、その結果として起きていることがあります。私たちが「医療にいくら使っているか」を話すとき、予防の話は最初から数字に入っていません。

    縮めたいのは、8.49年と11.63年

    健康寿命は「日常生活に制限がない期間の平均」です。令和4年の値は男性72.57年、女性75.45年。同じ年の平均寿命は男性81.05年、女性87.09年でした2。

    平均寿命と健康寿命(令和4年)2
    平均寿命 健康寿命 差
    男性 81.05年 72.57年 8.49年
    女性 87.09年 75.45年 11.63年
    平均寿命と健康寿命の差を示す図。男性は8.49年、女性は11.63年
    差は、日常生活に制限がある期間にあたります。令和4年値は令和元年値と比べて男性で短縮、女性で延伸していますが、いずれも統計的に有意な差は見られなかったとされています2。

    この差をつくっているものには、名前と数字がついています。介護が必要になった原因は、軽い段階と重い段階で顔ぶれが入れ替わります。

    この差を縮めることが、健康日本21(第三次・令和6〜17年度)の目標にも置かれています。目標の書き方は「平均寿命の増加分を上回る健康寿命の増加」です2。長く生きるだけでなく、動ける期間のほうを伸ばす、ということです。

    お金は、治療のほうへ向いている

    令和5年度の国民医療費は48兆915億円。国内総生産に対する比率は8.08%でした1。

    年齢で分けると、はっきりした形が出ます。

    年齢階級別の国民医療費(令和5年度)1
    年齢 国民医療費 構成割合 一人当たり
    65歳未満 ― 約39.9% 21万8,000円
    65歳以上 28兆8,806億円 60.1% 79万7,200円

    一人当たりで約3.7倍です。これは高齢者が多く使っているという話ではなく、病気は年齢とともに増えるという、当たり前のことが数字に出ているだけです。

    その定義は、正しい

    ここからが構造の話です。国民医療費の定義には、含まないものが明記されています1。

    傷病の治療費に限っているため、(1)正常な妊娠・分娩に要する費用、(2)健康の維持・増進を目的とした健康診断、予防接種等に要する費用、(3)固定した身体障害のために必要とする義眼や義肢等の費用は含まない

    これは合理的な定義です。国民医療費は、公的医療保険が給付する範囲を推計するための統計です。保険は「傷病の治療」に給付すると決まっている。だから統計もその範囲を数える。範囲が曖昧なら、保険財政の見通しが立たなくなります。

    国民皆保険は、この線引きがあるから成り立っています。誰でも、どこでも、同じ自己負担で治療を受けられる。銀歯の材料がJIS規格で決まっているのも、弁当のフタル酸が通知1本で22分の1になったのも、この制度が実際に動いているからです。

    同時に、起きていること

    定義が正しいことと、その定義が生む結果は別です。

    「医療費が48兆円」と言うとき、その48兆円には予防が入っていません。だから「予防にいくら使っているか」は、この統計からは見えません。見えない数字は、並べて比べることも、増減を議論することも難しくなります。

    そして、ここが大事なところです。予防が進むと、48兆円の側が減ります。診察が減り、検査が減り、投薬が減る。一方で、予防そのものはこの統計に現れないので、「何がどれだけ効いたか」は同じ土俵で示しにくい。

    費用が減る側は数字で見えて、増やすべき側は数字で見えにくい。これが、予防が育ちにくい構造の一つです。

    ここまでが公的統計の記述です。「だから予防が育ちにくい」という読み方は、me:LABの解釈です。

    誰かがサボっているわけではない

    この話は「国が予防をやっていない」という話ではありません。数字がそう言っていません。

    特定健診・特定保健指導の実施状況(2023年度)3
    対象者 実施 実施率 前年度比
    特定健診 5,210万人 3,123万人 59.9% +1.8pt
    特定保健指導 519万人 143万人 27.6% +1.1pt

    40〜74歳を対象に、5,210万人分の枠組みが毎年動いています。そして結果も出ています。メタボリックシンドロームの該当者と予備群は、2008年度と比べて17.2%減りました3。実施率も減少率も、毎年少しずつ上がっています。

    ただし、2つの数字のあいだには開きがあります。健診は59.9%まで来て、保健指導は27.6%。見つけるところまでは届いていて、生活を変えるところまでは届ききっていません。

    これも、誰かの怠慢ではないと考えています。健診は「受ける」で完了しますが、保健指導は数か月にわたって続けるものです。仕事の都合も、家庭の事情もある。仕組みの問題というより、一人ひとりの生活の中にどう入るかという問題です。

    では、どこに余白があるのか

    いまの仕組みが見ている範囲を、そのまま書き出すとこうなります。

    特定健診が見ている範囲
    範囲
    対象 40〜74歳3
    頻度 年1回
    項目 決められた基本項目
    見つけるもの 生活習慣病のリスク

    これは弱点ではなく、5,210万人に同じ質で届けるための設計です。対象を広げ、頻度を上げ、項目を増やせば、費用も人手も跳ね上がります。全員に届けることと、一人ひとりに合わせることは、どこかで両立しなくなります。

    だから余白は、ここに残ります。39歳までの期間。年1回のあいだの364日。基本項目に入っていないもの。この3つは、制度が取りこぼしているのではなく、制度が引き受けきれない範囲です。

    そして、この余白を埋められるのは、いまのところ本人しかいません。検査はそれぞれ違う問いに答えていて、ひとつで全部が分かるものはありません。だとすれば、自分がどの問いを持っているのかを決めるところから始まります。

    今日、確かめられること

    数字に戻ります。特定健診の実施率は59.9%。4割の人は受けていません3。

    40〜74歳で公的医療保険に入っているなら、あなたは5,210万人の対象者のうちの1人です。まず確かめられるのはここです。

    • 自分が対象かどうか。40歳以上74歳以下で、医療保険の加入者なら対象です
    • 今年度、受けたかどうか。受けていないなら、加入している保険者(健保組合・協会けんぽ・市町村国保)から案内が来ています
    • 保健指導の対象になったか。なったなら、終わりまでやった人は27.6%です。途中で止まっている側にいないか

    平均寿命と健康寿命の差、男性8.49年・女性11.63年は集団の平均です。自分の分はまだ決まっていません。決まっていないものについて、いま手を動かせる場所は、思っているより具体的にあります。

    入ってくるものと出す力については、こちらに一覧で並べています。

    参考文献・参考資料

    1. 厚生労働省「令和5(2023)年度 国民医療費の概況」令和7年10月10日 https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-iryohi/23/dl/R05data.pdf
    2. 厚生労働省健康・生活衛生局健康課「健康寿命の令和4年値について」第4回 健康日本21(第三次)推進専門委員会 資料1-1、令和6年12月24日 https://www.mhlw.go.jp/content/10904750/001363069.pdf
    3. 厚生労働省「2023年度 特定健康診査・特定保健指導の実施状況について」 https://www.mhlw.go.jp/content/12400000/001492019.pdf

    本記事は公的統計の整理と、それに対する編集部の解釈を含みます。個別の診断・治療に代わるものではありません。特定の制度・機関・職種を批判する意図はありません。

  • 答えが出ないまま調べる時間を、無駄にしないために

    答えが出ないまま調べる時間を、無駄にしないために

    健康について調べていると、答えのほうが先に来ます。「これがいい」「これはよくない」。検索すれば、たいてい何かしらの結論が待っています。

    けれど、答えを先に受け取ってしまうと、自分が何を知りたかったのかが分からないまま終わります。

    結論が出ないまま調べている時間は、無駄ではありません。その最中は、目当ての答え以外のものまで記憶に残りやすくなっています。

    そのことを示した実験から見ていきます。

    知りたいと思っているとき、脳では何が起きているのか

    好奇心は長らく、測りにくい主観として扱われてきました。実験の対象になったのは、比較的最近のことです。

    そこで分かってきたのは、「知りたい」という状態が、報酬を期待している状態とかなり重なるということでした。雑学的な質問を読ませて脳活動を観察した実験では、好奇心が強いほど報酬の予期に関わる部位の活動が高まっていました。実際の行動でも、好奇心が強いときほど、答えを知るために時間や資源をより多く使っていました1。

    答えを知ることは、脳にとって報酬を受け取ることに近い。好奇心が強いほど、人はその報酬に時間と資源を払います。

    好奇心が高いとき、関係のないことまで覚えている

    好奇心が高い状態で読んだ内容がよく記憶される。それだけなら驚きはありません。同じく雑学質問を使った実験で、もう一段おもしろいことが見つかりました。

    驚いたのは、その状態でたまたま一緒に提示されただけの、質問とは無関係な情報まで、よく覚えられていたことです。実験では質問と質問のあいだに、内容と関係のない人物の顔が挟まれていました。好奇心が高まっている最中に見た顔は、即時のテストでも、1日後のテストでも、より正確に思い出されました2。

    問いを持っているとき、人は目当ての答えだけを効率よく取り込んでいるのではないようです。周辺のものごとまで、いつもより通りやすい状態になっています。何かを本気で知りたくて調べていた時期のことを、関係ない細部まで覚えている。あれが起きています。

    ただし、これらは健康な成人を対象にした比較的小規模な実験です。心理学・神経科学の研究がどこまで再現されるかについては別の記事で触れたとおり慎重に見る必要があり、日常のあらゆる学習にそのまま当てはまるとまでは言えません。

    では、問いはどこから生まれるのか

    長く参照されてきた説明に、「情報のギャップ」という考え方があります。好奇心とは、自分が知っていることと知りたいことのあいだの隔たりから生じる、足りていない感覚だという見方です3。

    この見方には、ひとつ含みがあります。ギャップを感じるには、まず「自分はこれを知らない」と気づいている必要がある。何も知らない状態では、知らないことにすら気づけません。少し知ったからこそ、知らない部分が見える。問いは無知から自動的に湧くのではなく、部分的な理解の縁に現れます。

    それでも私たちは、答えを早く欲しがる

    けれど、宙ぶらりんの状態は落ち着きません。この感覚にも研究の蓄積があります。

    この急ぎ方は、「認知的閉合欲求」として研究されてきました。二つの傾向として現れます。できるだけ早く結論に到達しようとすることと、いったん得た結論をできるだけ長く保とうとすることです44。

    体調が悪いとき、原因を早く特定したくなります。特定できれば対処が決まり、不安が減る。まだ分かっていない領域ほど断定的な説明が現れやすいのは、この需要があるからです。統合医療に向けられる期待にも、同じことが起きています。この動きは、怠慢でも思考停止でもなく、人に共通する傾向として記述されてきたものです。急いで答えを決めたくなる自分を責める必要はありません。ただ、そういう力が働いていると知っておくと、少しだけ扱いやすくなります。

    わからなさは、不安だけを生むわけではない

    医療の領域では、この「わからなさ」との付き合い方が、不確実性耐性(uncertainty tolerance)として研究されています。

    その整理で目を引くのは、肯定的な反応も定義に含まれていることです5。知らないと意識したときに起きるのは、不安や回避だけではありません。興味や探索も、同じ状態から生まれます。

    ただし、どうすれば耐性が高まるのか、高いことが常に望ましいのかについて、確立した答えはまだありません。

    日常に持ち帰れること

    実験室の記憶課題と、健康について何年も考え続けることは同じではありません。そのうえで、三つ。

    ひとつは、答えを保留している時間が無駄ではないこと。結論が出ないまま調べている時期は、効率が悪く見えて、周辺の理解が広がっています。

    二つめは、問いが生まれるには少し知る必要があること。「何がわからないのかがわからない」段階では、まず概略に触れてみる。輪郭が見えてくると、聞きたいことが具体的になります。医療者に相談するときも、「なんとなく調子が悪い」より「いつから、どういうときに、どう変わったか」のほうが話が進みやすいのは、同じ理由です。

    三つめは、早く結論を出したくなる自分の傾向を知っておくこと。急いで決めた答えは、その後なかなか手放せなくなります。閉合欲求の「永続性」が示しているのは、そういうことです。

    問いのまま置いておく

    検査を受けるときにも、同じことが起きます。

    検査はそれぞれ違う問いに答えています。だから問いが決まっていないまま結果を見ると、読み方も決まりません。どの項目を重く見るかは、何を知りたかったかで変わります。

    そして、問いが立っているのに答えがまだ無い領域もあります。マイクロプラスチックの健康リスク評価は、まだ行われていません。この場合の「分からない」は、問いが悪いのではなく、答えが揃っていないほうです。

    健康の分野では、答えが出ていない部分がかなり広い。研究が足りない領域も、研究があっても割れている領域もあります。そういう場所で無理に結論を作ると、たいてい後で修正することになります。

    わからないまま抱えておくのは、落ち着きません。ただそれは、判断を放棄していることとは違います。今のところここまでしか分かっていない、と正確に把握している状態は、それ自体がひとつの理解です。

    やることは、問いを1行で書き出すことです。頭の中にあるうちは、答えを探している問いなのか、まだ輪郭を作っている途中なのかが分かれません。

    書いてみると、たいてい2つに割れます。「◯◯は体にいいのか」は輪郭の途中。「自分の◯◯が△△なのは、何で決まっているのか」は答えを探せる形です。後者の形になったとき、はじめて調べる先が決まります。

    参考文献・参考資料

    1. Kang MJ, Hsu M, Krajbich IM, et al. The wick in the candle of learning: epistemic curiosity activates reward circuitry and enhances memory. Psychological Science. 2009;20(8):963-973. doi:10.1111/j.1467-9280.2009.02402.x https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/19619181/
    2. Gruber MJ, Gelman BD, Ranganath C. States of curiosity modulate hippocampus-dependent learning via the dopaminergic circuit. Neuron. 2014;84(2):486-496. doi:10.1016/j.neuron.2014.08.060 https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC4252494/
    3. Loewenstein G. The psychology of curiosity: A review and reinterpretation. Psychological Bulletin. 1994;116(1):75-98. doi:10.1037/0033-2909.116.1.75
    4. Kruglanski AW, Webster DM. Motivated closing of the mind: “Seizing” and “freezing.” Psychological Review. 1996;103(2):263-283. doi:10.1037/0033-295X.103.2.263 https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/8637961/
    5. Hillen MA, Gutheil CM, Strout TD, Smets EMA, Han PKJ. Tolerance of uncertainty: Conceptual analysis, integrative model, and implications for healthcare. Social Science & Medicine. 2017;180:62-75. doi:10.1016/j.socscimed.2017.03.024 https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/28324792/

    本記事は心理学・神経科学の研究をもとに、情報との向き合い方を整理したものです。特定の治療法・製品の推奨や、個別の診断・治療に代わるものではありません。

  • 「マウスで確認された」を、自分に当てはめていいか

    「マウスで確認された」を、自分に当てはめていいか

    「マウスで確認された」から「人でも起きる」までの距離は、同じデータを見て正反対の結論が出るほど開いています。

    「マウスの実験で、脂肪の蓄積が抑えられることが確認されました」。健康食品の説明でよく見かける一文です。読み手は自然に、自分が摂ったときにも似たことが起きるだろうと考えます。

    その飛躍はどれくらい大きいのでしょうか。動物実験は無意味なのか、それとも十分な根拠なのか。答えは「場合による」ですが、その「場合」を分ける条件はある程度分かってきています。同じデータを見て正反対の結論が出た有名な論争も含めて、整理します。

    動物実験は、何のために行われているのか

    動物実験は、人での試験の代わりに行われているのではありません。多くの場合、人で試す前の段階で、仕組みを調べ、毒性を確認し、次に進むかどうかを判断するために行われます。

    そこで問われているのは「効くかどうか」よりも「試すに値するか」です。研究デザインごとに言えることの範囲が変わる点はエビデンスという言葉を整理した記事でも触れました。動物実験で良い結果が出ることは、人での検証を始める理由にはなっても、人で効くことの根拠にはなりません。この区別が、宣伝文と研究のあいだで最もよく崩れます。

    実際に照らし合わせると、当たったり外れたりしている

    動物とヒトで結果が一致するのかを、6つの治療について正面から照らし合わせた検証があります1。

    結果は、分かれました。

    頭部外傷へのステロイドは、動物では効果が出ていたのにヒトの試験では利益が示されませんでした。出血を止める薬は逆で、ヒトでは効いたのに動物のデータでは結論が出ませんでした1。一方、脳卒中の血栓溶解療法は、動物でもヒトでも同じ方向でした1。

    当たることもあれば、外れることもある。どちらになるかは、事前には分かりません。

    著者らの結論は控えめです。動物実験と人での研究のずれは、バイアスによるものかもしれないし、動物モデルが臨床の病態を十分に再現できていないためかもしれない1。動物実験が間違っているとも、モデルが悪いとも断定してはいません。研究の質に問題がある可能性も、同じ重さで挙げています。

    同じデータから、正反対の結論が出た

    この分野には、読み方の難しさを象徴する論争があります。

    先に出たのはソクらの2013年の論文です。熱傷・外傷・敗血症・感染という、命に関わる急性の病態を対象にしていました2。

    この論文は大きな反響を呼び、マウスでの実験にどこまで頼ってよいのかという議論を起こしました。

    2年後、タカオと宮川が同じデータを再解析しました。絞り込みを変えると、同じ方向に変化した遺伝子は77〜93%にのぼりました3。

    どちらの絞り方にも理屈があり、どちらも査読を通っています。

    この論争から分かるのは、「動物実験は人に当てはまるか」という問いが、何と何を比べるかを決めないと答えられないということです。「再現する/しない」は、比べ方で変わります。

    ずれが生じる、具体的な理由

    個別の理由も分かっています。

    投与量の問題があります。動物実験では、ヒトの通常摂取量からは遠く離れた高用量が使われることが多い。(「解毒作用がある」とされる食品の根拠も、多くがこの段階にとどまっています。)仕組みを見るためには効果を大きく出す必要があるからです。体重あたりで換算しても、そのままヒトの摂取量にはなりません。

    投与経路の問題もあります。腹腔内に注射した場合と、口から摂って消化管を通る場合では、届く量も形も変わります。試験管の中で細胞に直接振りかけた結果であれば、消化と吸収の過程がまるごと省かれています。

    そして対象の問題があります。実験動物は遺伝的にそろえられ、同じ環境で、同じ餌を食べ、多くは若い個体です。病気も人工的に起こされたものです。年齢も背景も生活も異なる人間の集団とは、条件が違いすぎます。

    それでも動物実験が必要な理由

    ここまで読むと動物実験が当てにならないように見えますが、そうではありません。

    仕組みを調べるには、組織を取り出し、遺伝子を操作し、条件を変えて繰り返す必要があります。人ではできないことばかりです。安全性の見当をつけるためにも、先に動物で確かめる段階は欠かせません。

    この検証が示したのは、動物実験が無価値だということではなく、動物で見えたことが人でも起きるかどうかは、人で確かめるまで分からない、という当たり前の事実です。動物実験の結果は、答えではなく仮説の位置にあります。

    どの条件ならうまくいくのかは、まだ見えていない

    正直なところ、動物からヒトへの外挿がうまくいく条件について、一般的な法則はまだありません。疾患領域によって一致度が違うことは示唆されていますが、事前にどちらになるかを予測する方法は確立していません。ソクらとタカオらの論争も決着しておらず、どちらの解析方針が適切かをめぐる応答が、その後も同じ雑誌で交わされています。

    動物実験の側の質にも課題が残ります。ペレルらは、ずれの原因としてバイアスの可能性を挙げていました1。無作為化や盲検化が十分に行われていない動物実験は少なくなく、報告の仕方も研究によってばらつきます。人での試験に求められる水準が、動物実験には必ずしも適用されてきませんでした。

    それでも、「実験で確認された」という表現に出会ったとき、探せることはいくつかあります。対象はヒトか、動物か、培養細胞か。書かれていない場合でも、小さな注記に「マウスにおける試験」と添えられていることがあります。どういう形で与えられたか。飲んだのか、注射したのか、細胞に直接かけたのか。その量は、現実的な摂取量とどう関係するのか。

    これらが分からないとき、その結果は「人でも同じことが起きる根拠」としては使えません。ただし「起きないことの証明」でもない。まだ仮説の段階にある、ということです。

    「まだ分からない」を、どこに置くか

    この置き場所が問われている分野が、身近にあります。「デトックス」です。

    2015年の総説によれば、コリアンダー、海苔、オレストラといった食品に解毒作用を示唆する予備的な知見はあるものの、その大半は動物で行われた研究でした。そして著者らの知る限り、市販のデトックス食の有効性を評価した無作為化比較試験は行われていません。

    仕組みとしてありうる話が、人で確かめられないまま製品の説明になっている——この記事で見てきた構造が、そのまま出ています。

    一方で、経路そのものは人の生理学として確立しています。「仕組みがある」と「その仕組みを外から高められる」のあいだに、この距離があります。

    動物実験の結果は、期待を持つには十分で、確信を持つには足りません。この中間の状態をどう扱うかは、科学の問題というより、それぞれの人の判断の問題になります。

    害が小さく費用も小さいなら、仮説の段階で試してみることに合理性がある場合もあります。逆に、負担が大きい選択なら、もう少し確かめてからでも遅くありません。同じ「マウスでの結果」でも、何を賭けるかで扱いは変わります。「エビデンスがあるか」より先に、「自分は何を賭けようとしているか」を決めたほうが早く進みます。

    健康情報を読むときに効いてくるのは、それが細胞の話なのか、マウスの話なのか、人で試した話なのかを見分けることです。段階が分かれば、期待の大きさもそこに合わせられます。

    実際の商品では、この段階が表示のどこかに書かれています。届け出られた根拠が、その商品を人で試したものなのか、成分についての過去の研究をまとめたものなのかは、確かめられます。

    参考文献・参考資料

    1. Perel P, Roberts I, Sena E, et al. Comparison of treatment effects between animal experiments and clinical trials: systematic review. BMJ. 2007;334(7586):197. doi:10.1136/bmj.39048.407928.BE https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/17175568/
    2. Seok J, Warren HS, Cuenca AG, et al. Genomic responses in mouse models poorly mimic human inflammatory diseases. Proceedings of the National Academy of Sciences USA. 2013;110(9):3507-3512. doi:10.1073/pnas.1222878110 https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC3587220/
    3. Takao K, Miyakawa T. Genomic responses in mouse models greatly mimic human inflammatory diseases. Proceedings of the National Academy of Sciences USA. 2015;112(4):1167-1172. doi:10.1073/pnas.1401965111 https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC4313832/

    本記事は研究結果の読み方を整理したものであり、特定の製品・治療法の推奨や否定を目的とするものではありません。個別の診断・治療に代わるものでもありません。

  • 「エビデンスがない」を、どう扱えばいいか

    「エビデンスがない」を、どう扱えばいいか

    「まだエビデンスがありません」と書かれているものの大半は、まだ誰も調べていないほうです。効果がないと分かったほうではありません。

    日常会話では、この二つはほとんど同じ意味で使われます。「証拠がない」と聞けば「じゃあ違うんだろう」と考えるのは自然な反応で、責められることではありません。ただ研究の世界では、この二つは明確に別のものとして扱われています。区別を曖昧にしたまま話が進むと、判断が思わぬ方向へずれていきます。

    「差がなかった」と「差がないと分かった」は違う

    二つの治療を比べて差が出なかった研究は、かつて「ネガティブな研究」と呼ばれていました。この呼び方だと、差がないことが確かめられたように読めます。実際に示されたのは、差があるという証拠が得られなかった、というところまでです。

    この点を指摘したのが、1995年に BMJ の統計解説シリーズに載った「Absence of evidence is not evidence of absence(証拠がないことは、ないことの証拠ではない)」という短い記事でした11。

    この読み違いがどこで起きるのかは、京都大学の公開講義(57分)が正面から扱っています。腰を据えて確かめたいときに。


    差が見つからない理由は、もうひとつあります。参加者の数が少なすぎて、本当はある差を捉えられなかった場合です。二人は、当時の試験の多くがこの規模不足を抱えていたことも指摘しています1。差が見つからなかったのは、差がないからなのか、探す力が足りなかったからなのか。そこを区別していない研究が多い、ということです。

    「見つからなかった」の三つの理由

    差が検出されなかったとき、背後にありうる事情は少なくとも三つあります。

    この区別が実務的に効いてくるのは、たとえば古くからある方法や、特許が取れない物質、対象者の少ない状態を扱うときです。市販のデトックス食にヒトでの無作為化比較試験が存在しないのも、同じ理由です。研究には費用がかかります。誰が費用を出すのかによって、何が調べられ、何が調べられないかは変わります。研究の空白は、必ずしも効果の不在を反映していません。

    「効果がない」を示すには、別の設計が要る

    ひとつは、推定の幅を見ることです。研究は「差は0.5だった」と一点で出すのではなく、「差はこの範囲に収まりそうだ」という幅つきで出します(信頼区間と呼ばれます)。差が見つからなかった研究でも、その幅が「大きな効果はありえない」と言える程度に狭ければ、効果がないことの根拠になります。幅が広ければ、大きな効果も小さな効果も否定できていません。差の有無だけを見ていると、この違いは見えません。

    もうひとつは、最初から「差がないこと」を確かめる目的で試験を組むことです。どこまでの差なら実質的に同じとみなすかを先に決め、それを判定できる人数を計算して実施します。効果を探す試験とは、設計そのものが別になります。

    効果がないという主張にも、効果があるという主張と同じくらいの設計と規模が必要になります。「調べたけれど出なかった」は、その代わりにはなりません。

    「高品質の根拠がある」ほうが、むしろ例外

    ここで、視野を少し広げてみます。医療全体を見渡したとき、高い確実性で効果が示されている介入はどれくらいあるのでしょうか。

    コクラン・レビューで検討された1,567の介入のうち、高い質のエビデンスに利益が支持されていたのは5.6%だったことを示す図
    2008年から2021年までに公表されたコクラン・レビューから無作為に2,428件(全体の35%)を抽出し、プラセボまたは無治療と比較されGRADEで質が評価された介入を調べたもの。1,567の介入のうち87件が該当しました2。

    また、害について測定されていたのは577件(36.8%)にとどまり、そのうち統計的に有意な害が示されたのは127件(8.1%)でした2。著者らは結論として、最近のコクラン・レビューで検討された医療介入の10のうち9以上は高品質のエビデンスに支持されておらず、害は過小に報告されている、と述べています2。

    この数字の受け取り方には注意がいります。これは「医療の9割が効かない」という意味ではありません。GRADEで最高評価がつくには厳しい条件が要り、評価されていない介入も多く、そもそもコクラン・レビューが扱うのは不確実性が残る問いに偏ります。著者ら自身も、コクランの評価者の判断に依存することを主な限界として挙げています2。

    それでも、この結果が示していることははっきりしています。「高品質のエビデンスがある」という状態は、医療の中でもかなり例外的です。だとすれば、「エビデンスがないからやめておく」という判断基準を一貫して適用すると、現に行われている多くのことが対象になってしまいます。

    では、空白をどう埋めるのか

    身近な例では、水を多く飲むことの効果がこれにあたります。無作為化比較試験はごくわずかしかありません。効果がないのではなく、まだ確かめられていない、という状態です。

    研究が足りない領域について、判断を保留し続けることは現実的ではありません。日々の選択は待ってくれないからです。

    見るのは、確実性の高さだけではありません。確実性と、賭けるものの釣り合いです。取り返しがつき、費用も負担も小さい選択なら、確実性が低い段階で試す価値はあります。費用が大きい、他の選択肢を諦めることになる、体への負担がある。そういう選択では、同じ確実性でも答えは変わります。

    もう一つ見るのは、害がどれだけ調べられているかです。効果の大きさをどう読むかについては数字の見せ方を扱った記事が参考になります。ハウィックらの研究で、害が測定されていた介入が4割に満たなかったことは示唆的です2。効果について語られる量と、害について語られる量は、しばしば釣り合っていません。「効果のエビデンスがない」と同時に「害のエビデンスもない」なら、多くの場合それは、安全だということではなく、両方とも調べられていないということです。

    ただし、どの程度の確実性があれば行動を変えてよいのかについて、一般的な基準はありません。予防接種のように集団への影響が大きい判断と、個人の生活習慣の選択とでは、求められる確実性が違って当然ですが、その線引きは統計では決まりません。ここは科学の外側にあります。

    言葉を、二つに分けてみる

    いま進行形でこの区別が問われている例があります。マイクロプラスチックです。

    日本学術会議は提言で、吸着・含有された有害物質による毒性影響の調査事例は少なく、「環境および健康リスク評価は全く行われていない」と書いています。米国FDAも、食品中で検出されているレベルがリスクをもたらすことを現在の根拠は示していないとしつつ、定義・参照物質・採取手順が標準化されていないことを制約として挙げています。

    この状態は「安全と分かった」でも「危険と分かった」でもありません。比べられる形で測れていない、という第三の位置です。欧州の健康リスク評価の結果公表は2027年末までとされています。

    そして同じ空白が、商品の側にもそのまま現れます。検査の蓄積の欄で、重金属と添加物には項目名が並び、プラスチックの欄だけが「準備中」になっているのは、この空白の反映です。空白を空白として表示するか、埋めてしまうかは、作り手の選択です。

    厚生労働省eJIMも「その根拠は?」とたずねること、「情報の出どころを確認する」ことを挙げています3。根拠を問うというのは、根拠の有無だけでなく、その空白がどういう種類のものかまで問うことでもあります。

    「エビデンスがない」と書かれた文に出会ったら、それが調べた結果なのか、まだ調べられていないだけなのかを見分けたいところです。前者なら、どれくらいの規模で調べたのか、信頼区間はどう報告されているのかが次の問いになります。そもそも「エビデンスがある」が何を指すのかを押さえておくと、この問いは立てやすくなります。後者なら、なぜ調べられていないのか——関心が向いていないのか、費用の出し手がいないのか、対象が少なすぎるのか——が問いになります。

    もっとも、公開情報からこの区別をつけるのは、専門家であっても簡単ではありません。どちらであっても、それだけで結論は出ません。ただ、どちらなのかが分かれば、次に何を探せばいいかは変わってきます。

    分からないまま、選ぶということ

    アルトマンとブランドの指摘から30年が経ちますが、「差が出なかった」を「差がない」と読み替える習慣は、いまも消えていません。おそらくそれは、人が判断を早く終わらせたいからでしょう。分からないという状態は、居心地が悪いものです。

    けれど実際には、確実な根拠が揃った状態のほうが例外です。多くの選択は、分からない部分を抱えたまま行われています。それは科学の失敗ではなく、単に世界が複雑だということなのでしょう。

    「エビデンスがないから」と保留にしていることの中に、「まだ誰も調べていない」だけのものが混ざっています。その二つを分けたところから、判断は変わります。

    参考文献・参考資料

    1. Altman DG, Bland JM. Statistics notes: Absence of evidence is not evidence of absence. BMJ. 1995;311(7003):485. doi:10.1136/bmj.311.7003.485 https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/7647644/
    2. Howick J, Koletsi D, Ioannidis JPA, et al. Most healthcare interventions tested in Cochrane Reviews are not effective according to high quality evidence: a systematic review and meta-analysis. Journal of Clinical Epidemiology. 2022;148:160-169. doi:10.1016/j.jclinepi.2022.04.017 https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/35447356/
    3. 厚生労働省『「統合医療」に係る情報発信等推進事業』(eJIM)「情報を見極めるための10か条」https://www.ejim.mhlw.go.jp/public/hint/index.html

    本記事は研究結果の読み方を整理したものであり、特定の治療法・製品の推奨や否定を目的とするものではありません。個別の診断・治療に代わるものでもありません。治療の継続や中止について、この記事を理由に自己判断で決めないでください。

  • 「〇〇にいい」という研究を、どこまで信じるか

    「〇〇にいい」という研究を、どこまで信じるか

    観察で良さそうに見えたものが、試験で逆になった例が残っています。「よく歩く人は認知症になりにくい」は、歩けば予防できるという意味ではありません。

    健康に関する報道では、この種の一文をよく見かけます。読んだ側は自然に「では歩けば予防できるのか」と受け取ります。けれど元になった研究が示しているのは、多くの場合「そういう傾向が観察された」というところまでで、「歩いたから減った」までは示していません。

    「関連がある」と聞けば「なら効果があるのだろう」と読みます。研究者も同じように考えて、確かめにいきました。その結果、期待とは逆のことが起きた例がいくつも残っています。

    関連が観察される、四つの道筋

    AとBが一緒に動いているように見えるとき、その裏にありうる事情は一つではありません。

    二番目と三番目は、思っているより見分けがつきません。運動量の少ない人に認知症が多いという観察は、認知症の初期変化が活動量を下げている可能性と区別しにくいものです。よく歩く人は喫煙率が低く、収入や教育年数も違い、健診も受けています。効いているのは歩くことではなく、歩ける生活を成り立たせている条件のほうかもしれません。

    観察研究では、この三番目——AとBの両方に影響する別の要因があるという場合(交絡と呼びます)——を統計的に調整しようとします。腸内細菌と健康の関係のように、この問題が特に集中する領域もあります。ただし調整できるのは測定した項目だけで、測っていない要因、そもそも測りようのない要因は残ります。ここが観察研究の構造的な限界です。

    観察で見えていたものが、試験で消えた例

    期待された方向とは逆の結果が出た例が、実際にいくつもあります。どちらも、観察の段階では関連がはっきり見えていたものです。

    β-カロテンと肺がん

    カロテノイドを多く含む野菜や果物をとる人、血中のβ-カロテン濃度が高い人は肺がんが少ない。この観察が積み重なり、では補って摂ればどうかという試験が組まれました。

    男性喫煙者29,133人を無作為に分けて、β-カロテンを5〜8年にわたって投与した試験です。結果は、受けた群のほうが肺がんの罹患が18%高いというものでした2。

    米国の別の試験(対象18,314人)も同じ方向でした。肺がんも全死因死亡も増えたため、予定より21か月早く中止されています3。

    いずれも喫煙歴のある集団を対象にした試験であり、この結果を喫煙しない人にそのまま当てはめることはできません。それでも、「血中濃度が高い人は病気が少ない」から「その成分を補えば病気が減る」への飛躍が成り立たない場合があると示した影響は、大きなものでした。

    ホルモン補充療法と心疾患

    閉経後のホルモン補充療法についても、観察研究では心疾患が少ないという報告が重ねられていました。試験で確かめると、逆でした。

    健康な閉経後女性を対象に、エストロゲンとプロゲスチンの併用とプラセボを比較した結果、平均5.2年の追跡で冠動脈疾患のハザード比は1.29(95%信頼区間 1.02〜1.63、286例)、脳卒中は1.41(同 1.07〜1.85、212例)、浸潤性乳がんは1.26(同 1.00〜1.59、290例)でした。試験は乳がんの発生が中止基準を超えたため途中で打ち切られています4。

    注目したいのは、この論文が相対的な指標だけでなく絶対的な差も併記していることです。この二つがどう違うのかは別の記事で詳しく扱っています。1万人年あたりの超過リスクは冠動脈疾患が7件、脳卒中が8件、肺塞栓が8件、浸潤性乳がんが8件。大腸がんは6件、大腿骨近位部骨折は5件少なくなっていました4。「1.29倍」という数字と「1万人年あたり7件」という数字は同じ事実の別の表現ですが、受ける印象はかなり違います。

    「善玉コレステロール」で起きたこと

    HDLコレステロールは「善玉」と呼ばれ、高いほうが心筋梗塞が少ないことが繰り返し観察されてきました。関連はかなり強いものでした。

    ところが、HDLが生まれつき高くなる体質の人を調べると、心筋梗塞が少なくなっていませんでした5。

    使われたのは、メンデルランダム化という方法です。ある物質の血中濃度を高くする遺伝的な体質は、受精の時点でほぼランダムに割り振られます。生活習慣や収入では決まりません。だとすれば、その体質を持つ人と持たない人を比べることは、自然が行った無作為割り付けを使った比較に近づきます。

    観察でHDLと心筋梗塞のあいだに見えていた関連が本当に因果なら、その体質を持つ人ではリスクが13%下がっているはずでした。実際には、差が見当たりませんでした5。HDLだけに関わる14の遺伝子多型を組み合わせたスコアでも、同じでした5。

    この結果が効いてくるのは、同じ手法がLDLコレステロールでは因果を検出しているからです5。この方法自体は因果を捉えられます。LDLでは捉え、HDLでは捉えなかった。だからこそ「HDLが高いことは、心筋梗塞が少ないことの原因ではないかもしれない」という読み方が出てきます。

    ここから持ち帰れるのは、関連が強いことは、原因である証拠にならないということです。強さではなく、どう確かめたのかを問う必要があります。

    論文の結論も慎重で、「血漿HDLコレステロールを上げる遺伝的機構のいくつかは、心筋梗塞リスクを下げないようにみえる」と書かれています5。すべてのHDLの働きを否定したわけではない、という含みが残されています。

    では、観察研究は当てにならないのか

    それでも、観察研究でなければ分からないことがあります。喫煙と肺がんの関係は、人を無作為に喫煙群と非喫煙群に割り付ける試験なしに確立しました。そんな試験は倫理的に不可能だからです。研究がないことと、効果がないことは別です。

    1965年、オースティン・ブラッドフォード・ヒルはまさに「環境と疾病 — 関連か、因果か」と題した講演で、観察された関連から因果を判断するために考慮すべき九つの観点を示しました。強さ、一貫性、特異性、時間的先行、量反応関係、生物学的妥当性、整合性、実験、類似性です1。

    どれも単独では決め手になりませんが、揃うほど因果の説明は有力になります。曝露が結果より先に起きているか。量が増えるほど結果も増えるか。別の集団、別の方法でも同じ傾向が出るか。仕組みの説明がつくか。観察研究であっても、これらが積み重なれば因果の推論は強くなります。逆に、たった一つの観察研究で関連が見つかっただけの段階は、この積み重ねのごく入り口にすぎません。

    もっとも、メンデルランダム化も万能ではありません。この方法は、使う遺伝子変異が目的の物質だけに影響し、他の経路を通じて結果に影響しないという前提に立っています。ひとつの遺伝子が複数の働きを持つことは珍しくなく、この前提が成り立つかどうかの検証自体が研究上の課題になっています。遺伝的な違いは生涯続くものなので、大人になってから短期間だけ介入した場合と同じ効果を意味するとも限りません。

    無作為化比較試験にも別の限界があります。参加できる人は限られ、期間も限られます。ATBC試験の結果を非喫煙者に広げられないのはその一例です。厳密な条件下で確かめられたことと、実際の生活の中で起きることのあいだには、常に隙間が残ります。

    ひとつの研究デザインで因果が決まることは、ほとんどありません。観察研究、無作為化試験、遺伝情報を使った解析。別々の方法が同じ方向を指したとき、確からしさは一段上がります。

    記事を読むときに確かめられる、三つのこと

    厚生労働省eJIMは「情報を見極めるための10か条」の中で、「因果関係を見定めよう」「比較されていることを確かめよう」という観点を挙げています6。専門的な吟味は難しくても、次の三点は多くの記事から読み取れます。

    ひとつめは、比較があるかどうか。「Aを実践している人の◯%が改善」だけでは、実践していない人がどうだったのかが分かりません。ふたつめは、時間の順序。曝露が結果より先に起きたことが確かめられているのか、同じ時点で測っただけなのか。みっつめは、使われている動詞です。「関連していた」「傾向がみられた」と書かれているのか、「効果があった」「予防する」と書かれているのか。研究者が慎重に選んだ動詞が、記事の見出しで別の言葉に置き換わっていることは少なくありません。

    「原因」を探したくなるとき

    最後に、相関の手前にあるものを1つ挙げておきます。「症状の一覧に当てはまった」は、相関ですらありません。

    相関は、2つの変数を多数の人で測って、一緒に動いているかを見たものです。症状のリストに当てはまるかどうかは、比較対象のない1人分の観察です。

    しかも比較対象を置くと、当てはまりの意味が変わります。一般の人1,000人の調査では、過去7日間に症状がまったくなかった人は10.6%で、経験した症状の数は中央値5個でした。つまり9割の人が当てはまります。

    「当てはまった」→「相関がある」→「原因である」。最初の矢印から、すでに飛んでいます。

    体調が思わしくないとき、人は原因を一つに絞りたくなります。あの食べ物か、あのストレスか、あの習慣か。原因が特定できれば、対処もはっきりするからです。

    けれど、ここまで見てきた研究者たちの苦労は、その特定がいかに難しいかを示しています。何万人を何年も追いかけ、遺伝子まで動員しても、関連と因果を分けるのは容易ではありません。そもそも「エビデンスがある」という言葉が何を指しているのかについてはこちらにまとめました。自分ひとりの体調について、思い当たった一つの要因を原因だと決めるのは、それよりずっと不確かな作業になります。

    この構造は、サプリメントを足すかどうかを決めるときにそのまま効いてきます。観察で良さそうに見えたものが、試験で覆った例は、判断の順番を考える材料になります。

    参考文献・参考資料

    1. Hill AB. The Environment and Disease: Association or Causation? Proceedings of the Royal Society of Medicine. 1965;58(5):295-300. doi:10.1177/003591576505800503 https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC1898525/
    2. The Alpha-Tocopherol, Beta Carotene Cancer Prevention Study Group. The effect of vitamin E and beta carotene on the incidence of lung cancer and other cancers in male smokers. New England Journal of Medicine. 1994;330(15):1029-1035. doi:10.1056/NEJM199404143301501 https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/8127329/
    3. Omenn GS, Goodman GE, Thornquist MD, et al. Effects of a combination of beta carotene and vitamin A on lung cancer and cardiovascular disease. New England Journal of Medicine. 1996;334(18):1150-1155. doi:10.1056/NEJM199605023341802 https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/8602180/
    4. Writing Group for the Women’s Health Initiative Investigators. Risks and benefits of estrogen plus progestin in healthy postmenopausal women: principal results from the Women’s Health Initiative randomized controlled trial. JAMA. 2002;288(3):321-333. doi:10.1001/jama.288.3.321 https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/12117397/
    5. Voight BF, Peloso GM, Orho-Melander M, et al. Plasma HDL cholesterol and risk of myocardial infarction: a mendelian randomisation study. Lancet. 2012;380(9841):572-580. doi:10.1016/S0140-6736(12)60312-2 https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/22607825/
    6. 厚生労働省『「統合医療」に係る情報発信等推進事業』(eJIM)「情報を見極めるための10か条」https://www.ejim.mhlw.go.jp/public/hint/index.html

    本記事は研究結果の読み方を整理したものであり、特定の治療法・製品の推奨や中止を促すものではありません。また、個別の診断・治療に代わるものではありません。治療中の方は、この記事を理由に自己判断で変更しないでください。

  • 「50%減る」という数字を、どう受け取るか

    「50%減る」という数字を、どう受け取るか

    「リスクが50%減る」と書かれていても、何が半分になったのかは書かれていません。100人に2人が1人になったのかもしれない。同じ結果の、別の読み方を整理します。

    この一文は、大きな効果があるように読めます。半分になると書いてあるのですから当然です。ただ、何が半分になったのかは書かれていません。100人に2人が1人になったのか、1万人に2人が1人になったのか。どちらも「50%減」です。

    同じ研究結果を別の言い方にしただけで、人の判断は変わります。それは検証されていて、実際に社会を動かしてしまった例も残っています。

    同じ結果を、三通りに書く

    ひとつの結果は、少なくとも三通りの言い方で書けます。

    1,000人のうち4人が3人に減る様子を点で示し、その1人分の差が25%減・0.1ポイント減・1,000人に1人の三通りに書けることを示す図
    ある対策で、病気で亡くなる人が1,000人あたり4人から3人に減ったとします。「25%減」は元の4人を基準にした言い方で、3つとも同じ結果を指しています。

    「25%減」「0.1ポイント減」「1,000人に1人」。どれも同じ1人分の変化を指しています。広告や見出しで選ばれやすいのは最初の言い方です。いちばん大きく見えるからです。

    この例は架空のものではありません。ギゲレンツァーらは、乳がん検診について「マンモグラフィ検診は乳がんで死亡するリスクを25%下げる」という表現が、実際には「1,000人のうち1人が乳がんで死亡せずにすむ」ことを意味すると指摘しています1。

    表現の違いは、受け手の判断を変える

    「見え方が違うだけで、分かる人には同じでしょう」。これも検証されています。

    世界中の研究を集めて評価している国際組織コクランのレビューが、この点を調べています。同じ結果を違う書き方で見せた研究35件、83の比較を集めた分析です。理解度は、相対的な書き方でも絶対的な書き方でも変わりませんでした。変わったのは受け取り方で、相対的な書き方のほうが効果が大きいと感じられ、説得的だと評価されました2。

    理解しているかどうかとは別に、印象と説得力が動きます。表現の選択は中立ではありません。

    1995年、イギリスで起きたこと

    この構造が現実に何を引き起こしうるかを示した出来事があります。

    1995年10月、英国の医薬品安全性委員会が、ある種の経口避妊薬について警告を出しました。対象は「第三世代」と呼ばれる、当時より新しく開発された種類のものです。脚や肺に血の塊ができるリスクが2倍、すなわち100%高まるという内容でした。この情報は19万人の一般医、薬剤師、公衆衛生担当者へ文書で伝えられ、報道機関にも緊急発表されています1。

    では、その100%とは何だったのか。警告の根拠となった研究が示していたのは、従来の第二世代の薬を服用した女性7,000人のうちおよそ1人に血栓が生じ、第三世代ではそれが2人になった、ということでした。絶対的な増加は7,000人に1人。相対的な増加は、確かに100%です1。

    報道を受けて多くの女性が服用を中止しました。ギゲレンツァーらによれば、その翌年、イングランドとウェールズで中絶がおよそ13,000件増えたと推計されています。増えた中絶1件につき出生も1件増え、16歳未満の妊娠は約800件増加。中絶にかかる国民保健サービスの費用増は約4,600万ポンドと見積もられました1。

    そして最も皮肉な点ですが、妊娠と中絶自体が血栓のリスクを高め、そのリスクは第三世代の薬によるものを上回ります1。血栓を避けるための警告が、より大きな血栓リスクを生む行動を引き起こした可能性があります。

    この出来事は、統計の表現が正確でありながら不透明でありうることを示しています。「2倍」は嘘ではありません。それでも、7,000人に1人が2人になる、と伝えられていれば、多くの女性は服用をやめなかったでしょう。

    「元がどれくらいか」で意味が変わる

    相対的な数字が誤解を生みやすいのは、元の頻度(ベースライン)が示されないときです。

    もともと10人に1人が経験することが20人に1人になれば、50%減という表現は実感に近いものになります。10人のうち1人分の変化が実際に起きているからです。では10万人に2人が10万人に1人になった場合はどうか。これもやはり50%減ですが、10万人が対策をとって1人分が減る計算になります。

    どちらが意味のある変化かは、状況によって違います。まれだが重い病気であれば、10万人に1人の差にも価値があります。判断するために必要なのは、相対的な割合と元の頻度の両方であって、片方だけでは決められません。

    実際に、商品に書かれた「体にいい」の根拠を辿るときも、最初に探すのはこの元の頻度になります。

    健診の場面でも同じです。LDLコレステロールの管理目標値が一律でない理由は、まさにここにあります。

    ここから、数字を見たときの実務的な手順が出てきます。「何%」という表現に出会ったら、元の頻度を探す。書かれていなければ、その数字だけでは効果の大きさは判断できない、と保留してかまいません。

    NNTという伝え方

    絶対リスク減少の逆数が治療必要数(NNT)です。先の例なら、1,000人あたり1人の減少ですからNNTは1,000。「1,000人が受けて、そのうち1人が結果を変えられる」という言い方になります。

    この表現は、恩恵を受けるのが全員ではないことをはっきりさせます。裏を返せば、999人にとっては結果が変わらないことも同時に伝えています。効果を小さく見せる表現だと受け取られることもありますが、実際に起きることを最もそのまま述べているのはこの形です。

    先のコクラン・レビューは、NNTが理解のしやすさでは相対リスク減少に劣るという結果も報告しています2。正確さと分かりやすさは自動的には両立しません。だからこそ、複数の表現を並べて見ることに意味があります。

    絶対リスクだけ書けばよい、とも言えない

    どの形式で伝えるべきかについて、決着した答えはありません。絶対リスクを併記すべきだという主張は広く支持されていますが、では常に絶対リスクだけを示せばよいかというと、そう単純ではありません。まれな出来事では絶対的な差が非常に小さくなり、意味のある効果まで軽視される可能性があります。

    また、平均的な絶対リスク減少は、リスクの高い人と低い人で大きく異なります。もともとリスクが高い人にとっては同じ相対的な減少がより大きな絶対的利益になり、リスクが低い人にとってはわずかになります。集団の平均値を個人に当てはめる際の限界は、ここにも現れます。

    研究デザインの読み方はエビデンスという言葉を整理した記事にまとめました。そして、どこまでのリスクを受け入れるかは統計では決まりません。1,000人に1人の違いを重く見るかどうかは、その人が何を大切にしているかによります。ここは誰かに決めてもらえる部分ではありません。

    数字の前で、立ち止まれる場所

    同じことが、「体に入ってくるもの」の数字にも当てはまります。

    「農薬が検出された」「カドミウムが検出された」は、それだけでは大きさが分かりません。分母が要ります。公的な調査は、そこを比で出しています。

    分母を置いたときの、実際の位置
    物質 上限に対する割合
    残留農薬(48農薬等) 一日摂取許容量の0.000〜2.954%
    食品添加物 最も高いもので17.2%
    カドミウム 耐容週間摂取量の平均35%、95パーセンタイルで67%
    アルミニウム(小児1-6歳) 暫定耐容週間摂取量の平均43%、95パーセンタイル以上で100%超

    並べると、「検出された」という同じ言葉の下に、桁の違う距離があることが見えます。上限まで0.02%の物質と、67%の物質を、同じ強さで心配する理由はありません。

    同じ食品について、国によって結論が分かれた例もあります。2004年、英国はヒジキを食べないよう勧告し、日本は摂取量から計算して「極端に多く摂らなければリスクは高まらない」としました。分けたのは、量を計算に入れたかどうかでした。

    そして分母そのものが存在しない物質もあります。そこでは比が作れないので、遠いとも近いとも言えません。

    効果を示す数字に出会ったとき、その場で確かめられることがいくつかあります。

    まず、その数字が出た研究が「関連を見たのか、原因を確かめたのか」。ここでも意味は変わります。この違いは別の記事で扱いました。

    厚生労働省eJIMは「情報を見極めるための10か条」で「数字のトリックに注意しよう」「出来事の『分母』を意識しよう」を挙げています3。分母を意識するとは、「何人中何人か」を探すことです。効果を示す数字に出会ったとき、確かめられることは多くありません。それでも次の三つは、たいていの記事から探せます。

    その数字は割合か、実数か。元の頻度はどれくらいか。そして、何人が受けたとき何人分の違いが生まれるのか。この三つが埋まると、同じ「50%」がまったく違う大きさに見えてきます。埋まらないときは、判断を保留してかまいません。情報が足りないのは読み手の理解力の問題ではなく、伝え方の問題です。

    1995年の警告は、正しい数字によって引き起こされました。正確であることと、伝わることは別のものでした。

    確かめ方は1つです。「◯%減る」という数字を見たら、元が何人中何人だったかを探します。

    書かれていれば、実際に減る人数が出ます。1,000人に4人が3人なら、減るのは1人です。書かれていなければ、その時点で判断材料が足りていません。書かれていないことに気づけるかどうかが、この記事で持ち帰れるところです。

    参考文献・参考資料

    1. Gigerenzer G, Gaissmaier W, Kurz-Milcke E, Schwartz LM, Woloshin S. Helping Doctors and Patients Make Sense of Health Statistics. Psychological Science in the Public Interest. 2007;8(2):53-96. doi:10.1111/j.1539-6053.2008.00033.x https://journals.sagepub.com/doi/10.1111/j.1539-6053.2008.00033.x
    2. Akl EA, Oxman AD, Herrin J, et al. Using alternative statistical formats for presenting risks and risk reductions. Cochrane Database of Systematic Reviews. 2011;(3):CD006776. doi:10.1002/14651858.CD006776.pub2 https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/21412897/
    3. 厚生労働省『「統合医療」に係る情報発信等推進事業』(eJIM)「情報を見極めるための10か条」https://www.ejim.mhlw.go.jp/public/hint/index.html

    本記事は統計表現の読み方を整理したものであり、特定の医薬品・検診・治療の推奨や中止を促すものではありません。個別の診断・治療に代わるものでもありません。服薬や検診について、この記事を理由に自己判断で変更しないでください。

  • 「エビデンスがある」を、三つの質問で見分ける

    「エビデンスがある」を、三つの質問で見分ける

    同じ「エビデンスがある」でも、数千人を対象にした比較試験を指すこともあれば、試験管の中で細胞が反応した段階を指すこともあります。

    健康や食事の情報を調べていると、この一文によく出会います。サプリメントの説明にも、施術の紹介にも、テレビの解説にも出てきます。

    この言葉だけでは、どちらなのか分かりません。

    その場で確かめられる、三つのこと

    先に結論から書きます。「エビデンスがある」と書かれた一文を見たとき、確かめられるのは次の三点です。

    「エビデンスがある」と書かれていたら
    確かめること 分かれ目
    誰を対象にした研究か 動物か、人か。人なら、自分と近い状態の人か
    何と比べているか 何もしない場合か、別の方法か、そもそも比較がないのか
    どれくらいの差なのか 相対的な割合(50%減)か、実際の頻度の差(100人中2人が1人)か

    この三つが書かれていないことは、よくあります。書かれていないと気づいた時点で、その情報の確からしさは一段下がります。

    以下は、その理由です。

    「エビデンスがある」は、ひとつの意味ではない

    厚生労働省が運営する「統合医療」情報発信サイト(eJIM)は、医学・医療の分野におけるエビデンスを「ある治療法がある病気に対して、安全で効果のあるものなのかどうかを確率的な情報として示す検証結果」と説明しています5。

    ここで見落とされやすいのが「確率的な情報として」という部分です。エビデンスは、ある集団を観察したときに平均としてどうだったかを示します。目の前の一人にそのまま当てはまるとは限らない、という前提が最初から含まれています。

    「エビデンスがある/ない」は本来、白か黒かの二択ではありません。どんな研究が、どれくらいの人数で、何と比べて、どの程度の確からしさで示したのか。その中身を抜きにすると、この言葉はほとんど情報量を持ちません。

    研究デザインによって、言えることの範囲が変わる

    「研究で示された」と言うとき、その研究がどう組まれていたかで、読み取れる内容は大きく変わります。

    研究デザインごとに言えることと、言えないことのおおまかな整理
    研究デザイン 言えること 言いにくいこと
    ランダム化比較試験(RCT) 介入と結果のあいだの因果関係を検討できる 長期の影響、まれな有害事象、実生活での再現
    コホート研究などの観察研究 要因と結果の関連の有無と方向 因果の断定(背景要因の影響を除ききれない)
    症例報告・症例集積 そういう例があったという事実 どれくらいの頻度で起きるか
    動物研究 作用の仕組みについての仮説 ヒトで同じことが起きるかどうか
    試験管内(in vitro)研究 細胞や分子のレベルでの反応 生体の中での挙動、経口摂取後の到達性
    システマティックレビュー・メタ解析 複数研究をまとめた全体像 元になった研究の質を超えた結論

    観察研究の行に「因果の断定」を挙げたのは、関連が見つかることと原因だと分かることのあいだに距離があるからで、この距離については別の記事で扱っています。健康情報でとくに混乱が起きやすいのは、下の二段と上の段が同じ「研究で示された」という言葉でまとめられてしまうときです。細胞に振りかけたら変化が見られた、という結果は、その物質を口から摂った人に同じことが起きる根拠にはなりません。消化され、吸収され、代謝され、標的の組織に届く、という過程がまるごと検証されていないからです。

    ただし「RCTが常に上」ではない

    研究デザインを階段状に並べた図はよく使われますが、この見方にも限界があります。落下傘の有効性をRCTで確かめることはできませんし、まれな副作用や数十年単位の影響は観察研究のほうが捉えやすい。いま使われている評価方法も、デザインの種類だけで序列を決めてはいません。

    「根拠の強さ」は、4段階で評価されている

    「エビデンスがある/ない」は二択に見えますが、実務では段階が付けられています。診療ガイドラインの作成で国際的に使われているGRADEという方法は、確実性を高・中・低・非常に低いの4段階で評価します2。

    GRADEにおける確実性の4段階。ランダム化比較試験は高から、観察研究は低から出発し、5つの理由で格下げ、3つの理由で格上げされることを示した図
    GRADEでは、研究の限界・結果の不一致・対象や設定のずれ・推定の不正確さ・報告の偏りという5つの理由で格下げされ、効果が非常に大きい・用量反応関係がある・想定されるバイアスが効果を小さく見せているはずだ、という3つの理由で格上げされます2。

    ここで言う「高」の定義も踏み込んでいます。「今後の研究によって効果の推定が変わる可能性は非常に低い」という意味であって、「絶対に正しい」という意味ではありません2。最上位でさえ、更新される余地を残した表現になっています。

    確実性とは別に、数字の見せ方にも注意がいります。この点は独立した記事で扱ったので、ここでは要点だけ。10人に1人が発症する状況が20人に1人になっても、1万人に2人が1人になっても、どちらも「50%減」と書けます。同じ言葉が指す規模はまったく違います。何と何を比べた割合なのか、元の頻度はどれくらいなのかまで確かめないと、効果の大きさは判断できません。

    それでも、エビデンスは揺らぐ

    一つひとつを正しく読み取っても、公表されている研究の集まり自体が偏っていることがあります。

    報告されない研究がある

    2008年に New England Journal of Medicine に掲載された研究は、この問題を具体的な数字で示しました。米国FDAに登録された抗うつ薬の臨床試験73件を、公表された論文と照合したところ、論文だけを読むと94%が肯定的な結果に見えたのに対し、FDAの評価では肯定的とされたのは51%でした。効果量の見かけの大きさは、薬剤によって11〜69%、全体では32%大きく見積もられていました3。

    これは特定の薬の話にとどまりません。芳しくない結果が公表されにくいという構造は、あらゆる分野で起こりえます。「肯定的な研究がいくつもある」という事実だけでは、否定的な研究が存在しないことの証明にはなりません。

    再現できないことがある

    2015年に Science で報告された大規模な検証では、心理学の主要3誌に載った100件の研究を、元の材料を使い、差があれば見つけられるだけの人数を確保して追試しました。元の研究では97%が統計的に有意だったのに対し、追試で有意だったのは36%。効果の大きさは平均しておよそ半分になりました4。

    この検証は心理学を対象にしたもので、医学や栄養学の再現性がそのまま同じ比率だとは言えません。ただ、査読を通って一流誌に載った研究であっても、そのまま確定した事実として扱えるとは限らない。この点は分野を超えて示唆的です。健康情報が数年おきに覆るように見えるのは、必ずしも誰かが嘘をついているからではなく、こうした過程の一部が表に出ているためでもあります。

    日本の「科学的根拠」表示は、何を保証しているのか

    食品のパッケージに書かれた機能性の表示も、制度上の意味を知っておくと読み方が変わります。

    消費者庁の説明によれば、機能性表示食品は「事業者の責任で、科学的根拠を基に商品パッケージに機能性を表示するもの」として消費者庁に届け出られた食品です。特定保健用食品(トクホ)とは異なり、国が個別に審査して許可したものではありません6。届出にあたって根拠資料の提出と情報公開は求められますが、その中身を国が確かめたわけではありません。

    機能性表示食品にも根拠はあります。違うのは、その根拠を国が審査したか、企業が届け出たかです。届け出られた資料は公開されているので、元の研究まで辿れます。トクホとの違いは、別の記事で整理しました。

    エビデンスは、答えを決めてくれない

    身近な例で、水準の差を見てみます。「体に溜まるもの」と一括りにされる3つを並べると、根拠の量がまったく違います。

    同じ「溜まるもの」でも、分かっている量が違う
    ある数字 水準
    食品添加物 物質ごとの一日摂取許容量。日本人の実際の摂取量も毎年推定 上限も、実測もある
    重金属 耐容週間摂取量、魚種ごとの摂食目安、水質基準。体内半減期も分かっている 上限も、実測もある
    マイクロプラスチック ない。定義も、参照物質も、採取手順も揃っていない 評価そのものが行われていない

    この3つに対して「気をつけたほうがいい」と言うのは、同じ言葉でも意味の重さが違います。前の2つは数字で自分の位置が分かります。3つめは、位置そのものが分かりません。

    逆に、入口が1つに絞られて、止めたら実際に減ったことが数字で確認された例もあります。弁当のDEHPは、手袋の使用に関する通知をはさんで平均4,420 ng/gから198 ng/gになりました。確かめられるときは、ここまで確かめられます。

    もう1つ、同じ物質でも評価する機関によって数字が1,000倍違うことがあります。2023年、EUのEFSAと、ドイツのBfRが、BPAについて同じ年にそれぞれ 0.2 ng と 200 ng を出しました。どちらも評価を行い、どちらも根拠の文献があります。

    「エビデンスがある/ない」の二択にすると、この差が消えます。調べられていないことと、調べて差がなかったことも、同じ「ない」になります。

    最後に、この言葉の出発点にあった定義を見ておきます。いま使われている意味と、かなり違います。

    「エビデンス」が広まったのは、1990年代の「根拠に基づく医療(EBM)」という考え方からでした1。

    EBMは「論文どおりにやること」ではなかった

    この定義が統合するものとしているのは、三つです。研究から得られる最良の外部エビデンス、臨床家個人の専門的な技能と経験、そして患者自身の価値観と希望。この三つが噛み合って初めてEBMになります1。

    EBMは最初から「エビデンスさえあれば決まる」という考え方ではありませんでした。論文が示す平均的な結果を、目の前の人の状況と希望に照らして翻訳するところまでを含めて、ようやくEBMになります。

    最後に、この読み方をしてもなお残るものがあります。研究が示すのは集団の平均であり、平均に一致する人がどこかにいる保証はありません。一人ひとりに合わせる研究は進んでいますが、どの要因がどれだけ効くのかについて、確立した答えはまだ出ていません。

    だから最初の三点に戻ります。誰を対象に、何と比べて、どれくらいの差なのか。公的機関も、ほぼ同じ観点を「情報を見極めるための10か条」としてまとめています5。「その根拠は?」とたずねる、比較されていることを確かめる、出来事の「分母」を意識する、数字のトリックに注意する。並んでいるのは、専門知識がなくても実行できることばかりです。

    「エビデンスがあるから正しい」でも、「エビデンスなんて当てにならない」でもなく、その中身を確かめたうえで、自分の場合はどうかを考える。答えを保留したまま問いを持ち続けている時間に何が起きているのかについては、別に書きました。その手間のかかる作業が、他人の正解を受け取ることと、自分で選ぶことを分けています。

    参考文献・参考資料

    1. Sackett DL, Rosenberg WMC, Gray JAM, Haynes RB, Richardson WS. Evidence based medicine: what it is and what it isn’t. BMJ. 1996;312(7023):71-72. doi:10.1136/bmj.312.7023.71 https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/8555924/
    2. Guyatt GH, Oxman AD, Vist GE, Kunz R, Falck-Ytter Y, Alonso-Coello P, Schünemann HJ. GRADE: an emerging consensus on rating quality of evidence and strength of recommendations. BMJ. 2008;336(7650):924-926. doi:10.1136/bmj.39489.470347.AD https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC2335261/
    3. Turner EH, Matthews AM, Linardatos E, Tell RA, Rosenthal R. Selective publication of antidepressant trials and its influence on apparent efficacy. New England Journal of Medicine. 2008;358(3):252-260. doi:10.1056/NEJMsa065779 https://www.nejm.org/doi/full/10.1056/NEJMsa065779
    4. Open Science Collaboration. Estimating the reproducibility of psychological science. Science. 2015;349(6251):aac4716. doi:10.1126/science.aac4716 https://www.science.org/doi/10.1126/science.aac4716
    5. 厚生労働省『「統合医療」に係る情報発信等推進事業』(eJIM)「情報の見極め方/情報を見極めるための10か条」https://www.ejim.mhlw.go.jp/public/hint/index.html
    6. 消費者庁「機能性表示食品について」https://www.caa.go.jp/policies/policy/food_labeling/foods_with_function_claims

    本記事は健康・医学情報の読み方を整理したものであり、特定の治療法・製品の推奨や、個別の診断・治療に代わるものではありません。